グスクロード1

名所、文化財などの解説

あやかりの杜

あやかりの杜
名所・公共施設・レジャー施設等
ヒニグスク 野面石積みが一部残っている。グスク土器、古銭(熙寧元宝)、陶器、青磁が出土している。グスクを築いた安司の名や興亡については不明。
鼓石 不詳
王妃の御墓 舜天王統三代目、義本王(1206〜)の妃の墓所と伝えられている。
ナスの御嶽 『琉球国由来記』によるとここに祀られている神は「ナスツカサ御イベ」で、安谷屋ノ口が祭祀をつかさどっていた。奥の岩の上には、舜天・舜馬順熙・義本の三王を葬ったとされる墓。村指定史跡H7.6.16
仲順大主の墓 仲順村の創建者といわれている。13世紀中葉の頃の人物だと考えられ、エイサー曲で有名な「仲順流り」も仲順大主にまつわる伝承が念仏歌になっている。
コスタビスタ ホテル

 

喜舎場公民館

喜舎場公民館
名所・公共施設・レジャー施設等
喜舎場公民館 自治公民館
児童公園  
喜舎場おもろの碑(歌碑) 「きしゃは つくりきよ きしゃは おなりしや」で始まる。H11.10.15建立
ウブカー 喜舎場公民館近く。正月の若水も汲んでいた。ウマチーに字の門中で拝んでいる。
喜屋武家住宅 90年前に建築。木造瓦葺き、木材はチャーギで38坪、屋敷はヒンプンや石垣が積まれ、数少ない戦前の建築物
仲間根所  
喜舎場の石獅子 村指定有形民俗文化財H7.6.16
喜舎場公の墓 喜舎場村の創建者といわれ、『遺老説伝』にも記載されている。仲順大主と同時代の人といわれている。(13世紀)「球陽1745年」
イラブーカー 喜舎場区では、ハチウビー、ウマチーに拝する。
喜舎場の龕屋(ガンヤー) 龕を保管した建造物。棺を墓まで運ぶ朱塗りの輿のことを龕といい、先の大戦後までしばらく龕を使用していた。村指定有形民俗文化財H7.6.16

 

役場前西口

役場前西口
名所・公共施設・レジャー施設等
北中城村役場  
JA農協  

 

安谷屋バス停

安谷屋バス停
名所・公共施設・レジャー施設等
若松公園 多目的広場
中城若松の墓 安谷屋の若松といい玉城朝薫作の組踊「執心鐘入」1719年の主人公のモデルとなった人物といわれている。村指定史跡S57.3.18
中城若松の墓のおもろの碑 あたにやの わかまつ あわれ わかまつ・・・」で始まる。H14.12.12建立
中城若松の墓の屋敷跡の火の神  
チブカー 大城で一番古いカーでンブガー(産井戸)として使用された。水溜めの石積みや周囲の土留め石積みがよく残っている。
カンジャーヤー跡  
安谷屋グスク グスク時代の土器、輸入磁器、陶器等が採集されている。
安谷屋城之殿  
辺土大主の墓  
梵字の碑(シロキエン) 安里氏の屋敷に建つ梵字碑。シロキエンは、一髻文殊(一字文殊ともいい、一字で知恵をつかさどる菩薩を表す)の種子(種子字の意味で、各尊を一字で標示した梵字)。一切の邪悪を破り、一遍二遍ないし七遍唱えることで本人、家族、天下の人を守護するとされる。
安谷屋おもろの碑 「あたにやの きもあくみの もりに・・・」で始まる。H12.3.29建立
アカイ玉御墓 辺土天孫氏王統の墓と言い伝えがあり安谷屋ノロ殿内が管理している。
タカヒージャー 樋川原にある井戸(カー)で、水道が普及するまで安谷屋集落内の簡易水道の水源であった。「おもろさうし」では「たかさうず」と謡われた泉である。

 

荻道:イーヌカー

荻道:イーヌカー
名所・公共施設・レジャー施設等
荻道公民館 自治公民館
荻堂貝塚 3000年から3500年前の貝塚で土器、石器、貝殻、イノシシの骨が発見されている。土器は「荻堂式土器」と形式設定されている。 国指定史跡
イーヌカー  
アガリヌカー  
メーヌカー  
ヒージャーカー 大正13年に改良工事を施し、飲料水やンブガー(産井戸)として利用していた。
梵字の碑(シロキエ)]ン) 魔よけの石碑とみられている。
荻道の歌碑(口説) 「あの坂(ひら) 何んで言ゆる坂だやべるが・・・」挽物口説より。挽物大工が那覇若狭町から中部の荻堂・大城の坂を通って具志川の田場天願へ仕事に出かける道中歌  H14.3.6建立

 

大城:アガリヌカー

大城:アガリヌカー
名所・公共施設・レジャー施設等
大城公民館  
中村家住宅 約280年前の琉球王朝時代に建てられた戦前の沖縄の住居建築の特色をすべて備えている建物です。昭和47年国指定重要文化財指定
アガリヌカー  
イリヌカー  
久知屋根所  
喜友名根所 大城集落の由緒ある根所の一である。宜野湾市間切喜友名村から移住して、大城村の始祖となったと伝えられている。
大城遺跡 陶器、磁器、貝殻などが採集されている。
チブカー 大城で一番古いカーで、ンブガー(産井戸)として利用された。
大城グスク 標高150m〜165mで村内で一番高い場所である。英祖王の第三子中城王子の居城であったとされている。古墓も点在し、鬼大城(大城賢勇)の祖先の墓と称する墓もある。
旧日本軍機関銃座跡 昭和20年4月、米軍が北谷村に上陸してまもなく、南部進行の防波堤(要塞)となった。石灰岩を刳りぬいた銃口の跡が残っている。
ボンボロー  
中北消防本部 中城・北中城消防事務組合
若松病院  

 

中城城趾駐車場

中城城趾駐車場
名所・公共施設・レジャー施設等
中城城跡 平成12年12月「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産登録
15世紀初頭中城按司護佐丸によって築城。尚泰久時代の1458年に、勝連城主・阿麻和利の策略で、護佐丸は滅ぼされてしまいます。世にいう「護佐丸・阿麻和利の変」です。
大城おもろの碑 「きこゐ 中くすく あがるいに むかて・・・」と始まる。
伊寿留按司の墓 山田城の按司の長男で、護佐丸盛春の兄にあたる。中城城跡入口の高台にあり、琉球石灰岩の岩盤の下を掘り込んでつくってある。城主になるのを望ます、農業に励んで豪農になったという。
護佐丸の墓  
中城北中城清掃事務組合(ゴミ処理) 中城・北中城事務組合

 

北中城中学校

北中城中学校
名所・公共施設・レジャー施設等
北中城中学校 北中城村立
底田原土地改良区  

 

渡口:バス停

渡口:バス停
名所・公共施設・レジャー施設等
渡口公民館 自治公民館
渡口みどり公園 公共施設
渡口の梵字の碑(アビラウンケン) 梵字:古代インドの文章語であるサンスクリット文字 村指定有形民俗文化財H9.10.1
渡口の印部土手石 原石(ハルイシ)ともいわれ、琉球王府が元文検地(1737〜50年)を行ったときの土地測量の目印と境界に使った図根点で、明治30年半ばの土地整理でほとんど消失している。「原名:とくち原 ニ」村指定史跡
渡口洞穴遺跡 石棺が安置された古墓で沖縄貝塚時代後期末からグスク時代初期頃の遺跡と考えられている。
渡口の殿 昔の宮城村集落跡といわれ、火の神の祠と井戸が残っている。(琉球国由来記1713年)15世紀半ば越来城が大城賢勇(鬼大城)によって攻められ越来城の安司が移り住んだとされている。
和仁屋間の寺 国道329号の東側にある建造物。桁・梁とも約3.4m、高さ1.35mの方形造りで、石灰岩の屋根には宝珠がある。子授けや旅の安全を祈願する。「琉球国由来記1713年」県指定有形民俗文化財

 

美崎:ゆたかやそば前

美崎:ゆたかやそば前
名所・公共施設・レジャー施設等
和仁屋間門の琉歌碑 「勝連の嶋や通ひぼしやあすが わにやまぢやうの潮の蹴やりあぐで」で始まる。田里親雲上朝直作 H9.2.24建立
渡口多目的広場 村の施設
ヒルギ群落 ヒメルギとオヒルギ生育している。
北中城高校  
県総合運動公園 県の施設
中城北中城清掃事務組合(し尿) 中城・北中城事務組合

 

県営北中城団地

県営北中城団地
名所・公共施設・レジャー施設等
しおさい公苑  
多目的広場 野球場・公園
熱田港湾  
学校給食共同調理場  

 

熱田:バス停

熱田:バス停
名所・公共施設・レジャー施設等
熱田公民館 自治公民館
島根殿 祈願の対象は海水に浸食された大きな岩であり、昭和15年の紀元前の2500年記念祭に 本殿を石造りの拝所から鉄筋コンクリート立てのお宮に立て直された。
石獅子  
梵字の石(アビラウンケン)  
クィージビラの石畳 熱田の西側、前上原と後上原との間の里道で石畳となっている。熱田と大城を結ぶ道であった。約80mに渡って残っている。
シルビグァービラ  
熱田マーシリー 昔、具志頭間切の美男子、白川桃原樽金と勝連間切村の美女、真鍋樽が恋をしたが、結ばれることがなく焦がれ死に、遺言によって合葬した場所と言い伝えがある。
コーヤー龕屋 龕を保管した建造物。棺を墓まで運ぶ朱塗りの輿のことを龕といい、先の大戦後までしばらく龕を使用していた。村指定有形民俗文化財H7.6.16

 

和仁屋:バス停

和仁屋:バス停
名所・公共施設・レジャー施設等
和仁屋公民館 自治公民館
和仁屋間の歌碑(口説) 「東表を見わたせば 浪のぬれぢの津堅島・・・」で始まる。敵討物の組踊「忠臣身替の巻:1797年・作者:辺土名親雲上」より。当時は冊封式典後の余興芸能として仕組まれた組踊りである。 H16.3.23建立
共同製糖工場跡 昭和16年〜20年頃にかけて操業していた。
和仁屋漆喰シーサー体験工房 和仁屋しっくい振興会

 

仲順:中央公民館

仲順:中央公民館
名所・公共施設・レジャー施設等
中央公民館  
総合社会福祉センター  
北中城商工会  

このページのTOPへ